田中オリエプロフィールストーリー(8)業界最大手ダイヤモンド専門店
これまではこちら
プロフィールストーリー(7)アテナ宝石デザイン研究所 線の引き方からやり直す
社内コンペに通らない!!
コンテスト受賞をきっかけに入社が決まったダイヤモンド専門会社。
ジャスダック上場企業で、そのころ最年少経営者ということで
話題になった社長の元、デザイナーとしてデザインに専念できる環境です。
これまで、コンテストではかならずなんらかの賞に入賞していたわたし。
こういう大企業では新作を出す時に各デザイナーから新作デザイン案を募り
社内コンペでデザインを出しあうのですが。。。。。
これがことごとく落選!!!!!
あまりにも毎回毎回落ちるので
本当に才能ないんじゃないかと落ちこみましたよ・・・・でね、同期の才能ある人がいて、その方のデザインが選ばれるのです。
もう、悔しくて(笑)
でもね、彼女のデザインは本当に素敵で。
どうしてあんな風な提案ができないのかとかなり悩みました。
ティアラのデザインが採用!
そんな私が転機を迎えたのはとある外国人デザイナーが入社してきてから。
ロシア人で、元ティファニーやヴァンクリーフでお仕事をしてきたというクラフトマン畑のデザイナー。
絵を描くよりも先に手で作り始め、考えながら作っていくタイプの方です。
この方が「ティアラを作ろう」と言い出したのです。
その時点で会社にはティアラは2機あったのですが、ダイヤモンドの大きさや職人さんたちがその技術を詰め込んだもの、だったので
何億円、何百キャラット、という大きなものだけだったのですね。
そして社内コンペで私のデザインが選ばれ、
そのロシア人デザイナーが製作を担当することになったのです。
デザイナーなのに社内通訳
余談になりますが、ちなみに、ロシア人なので日本語は通じず、会話は英語です。
あるひ突然同僚に英語しか通じない人が入社してきたのですよ。
私は長崎で英会話習っていたとはいえ、日常使ってはいなかったので忘れてる。
電子辞書を買って、知らない単語を調べながら会話をしていました。
そしたら「この人英語話せる」と周りから認識され、(辞書片手にやってたのに)
会社のオーナー会長とそのロシア人デザイナーの「社内通訳」もしていたのですよ。
ロシア人のデザイナーに目で「簡単なわかりやすい英単語使ってよ〜〜〜」と
目で合図しながら(笑)オーナーとの面談になんども同行しました。
やりたい、とか言う前にやってたら周りから「できるんじゃん、じゃあこれやって」と
チャンスが増えた典型的な例ですね。
ティアラ製作で見えてきたもの
それまで私は「お客様を想定して描くのがデザイナー」ということを本当にはよくわかっていなかったのだと思います。
なんだかんだ言って「作家」的な感覚だったのだと思う。
でもそれって「世界」が狭いのですね。
お客様を想定するって、世界を狭めることではないのです。
その本質がきっとわかっていなかった。
ティアラはどちらかというと「作家」的な観点でものづくりができる分野。
なのでコンペの強みがあった私の作品が選ばれたのですが、製作していく工程で、お客様のことを嫌という程意識しました。
「2~3時間の挙式の際に着け心地はどうか」
「この石の使い方は本当にベストか」等「お客様」を意識したものづくりをしたのです。
おかげさまでこの時に製作したティアラは、のちのティアラレンタル事業につながり、
フジテレビ月9の「プロポーズ大作戦」で長澤まさみさんにも着用いただきました。
これは本当に嬉しかった!!!
「着けてもらえる」って嬉しいな。
「喜ばれる」って嬉しいな。
それを認識したのです。きっとそれまでは
「見てみて!!私すごいでしょ」だったのだろうな。だから、選ばれなかったのだろうな。
つける人を想定してのものづくりの楽しさを知った私は
この後から社内コンペに通り始め、担当した3ブランド同時に売り上げNo1の商品開発ができるまでになったのです。おかげで社長賞(その年の売り上げNo1デザイナー)も2度いただきました。
自分の為のデザイン、から一歩進んだ
「誰かの為のデザイン」が本当にできるかどうか。
そこがデザイナーとして成功するかどうかのキモだと思います。
だからかな、私はフルオーダーの接客が好きなのです。
フルオーダー専門店立ち上げ時のスタッフ育成
この会社ではいろんな経験をさせていただきました。
その頃前職のフルオーダー専門店がかなり目立ってきていたので
会社としてフルオーダー専門ブランドを立ち上げることになったのです。
その時に、ジュエリーデザイナーの「卵」たちをフルオーダーの接客デザインができるように教育することを担当していました。
カリキュラムを作り、ロープレを重ねるのです。
前職では販売も担当していたので
平行して、販売スタッフにも「フルオーダーの」効果的な販売方法を
レクチャーもしておりました。
完成品ジュエリーの販売や、セミオーダーの販売とはフルオーダーの接客って全く異なるのです。
カリキュラムをつくり、「学校を出たての卵ちゃん」や既製品・セミオーダーの販売はやったことがあるというスタッフをフルオーダーにも対応できるようにするために1ヶ月くらいで研修を行い、デビューさせ、接客後にフィードバックをして改善していく効果的な「指導方法」を試行錯誤で研究して行ったのです。半年間そのブランドに出向し、元のデザイン室に戻りました。
マタニティハラスメント
その後、夫と出会い、結婚出産育休を経て復職しようとした時に
マタハラにあい、「他のデザイナーを入れてしまったからあなたの戻るところがありません。
戻るなら契約社員になり、仕事内容も変わります」と言われました。
ただ、娘の保育園の関係でなんの形であっても1度戻らなくてはならないとその時思い、
会社の条件を飲んで一旦復職。メンテナンスの商品を担当する部署になりました。
そのときはなんで!?ってもちろん思っていましたが、ここに行ったおかげで
「壊れやすい形」や「メンテナンスで戻ってきた リングがこういう風に変形する」という
事例をたくさん学ばせていただきました。
独立した今となっては「使える」ことばかりです。
そして平行して、アンリガトウの活動を本格的に始めました。
10:00~17:00で週5日勤務し、お迎え後に育児をして、寝かしつけ寝落ちし
その後深夜0:00~4:00くらいでアンリガトウの活動をしていたのです。
それだけ会社に貢献しててもこういうことが起きるのです。
周りから、「それ訴えたら100%勝てる!」と言われたのですが
そこまでして「残りたい」会社か?と考えました。
花嫁の、お客様の幸せを願ってブライダルリングを作っていると謳っている会社が
自社スタッフの出産育児を応援して「いない」んです。
それに、「いつか独立する」と言って
3社経験したら独立しよう、と決めて3社転職してきていたので
もうこれ時がきたのだな、と思いました。
娘に、「もう、やりなよ」って背中を押されていると感じたのです。
体力のある私は、なんだかんだで1年ほどそのダブルワークを続けていたのですが
ずっとは続けられないな、体壊してからじゃ遅い、と思い
会社をやめてアンリガトウとして独立することにしたのです。
おかげさまで、独立してからも
いろんなチャンスや出会いがあり、たくさんのジュエリーを作らせていただきました。
これからも「ありがとう」を伝えるきっかけジュエリー、アンリガトウとして
タンスに眠ったまま担っているジュエリーを今のあなたに似合う形に作り変える
「リデザインジュエリー」や、新郎新婦の愛を形にする「ブライダルジュエリー」等、
ジュエリーを通じての楽しみを提供できるブランドとして成長していきたいと考えております。
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[かさこ塾フェスタ]