田中オリエプロフィールストーリー⑶家族の反対切り抜け法

これまではこちら

プロフィールストーリー⑴私のベースを作った家族

プロフィールストーリー⑵やりたいことがわからない!

 

絵を描いて食べて行きたいなと思った私は本格的に絵画教室へ通い始めました。

そこは、高校の美術の先生が美術展出展用の作品を作る為に

共同でアトリエを借りていて教室をやっているという場所。

 

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アトリエ2階に「美大受験」を考えている学生が通い、1階に私のように「社会人枠」として趣味で通う人がいるという面白い環境でした。

そこで私が描いていたのはフェルメールの模写。なんでフェルメールを選んだかというとですね。

会社って、年末年始にカレンダーがいろんなところから集まりますよね。

会社で「好きなの持ってって〜」とどさっと置かれていたカレンダーの中に

造幣局が作った「世界の名画」的なカレンダーがあって、そこにあったのが

フェルメールの「紳士とワインを飲む女」

 

光と影の魔術師、カメラオブスキューラという技法を使って描くフェルメールの世界が大好きになり

こういうの描いてみたいな、と思ったのです。

 

最初のきっかけは「紳士とワインを飲む女」だったのですが

(そしてこの絵を観にいくことが夢の一つです)

油絵で1年模写したのは「牛乳を注ぐ女でもこれが難しくて!!

 

油絵って、ず〜〜〜〜〜〜〜っと描き続けられるのですよ。

「完成」を自分で決めるの。

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それがなかなかどうしても「あの」光がだしたいのに

「あの」表情が描きたいのに!と絵の具をまあ〜何層にも塗り重ねてがんばりました(^^)

そうやって1枚の絵を描き続けていた時に「ジュエリーデザイナー」をめざして

社会人から美大受験クラスに入っていたという女性と偶然出会ったのです。

 

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美大受験クラスとは教室がちがうのですが「講評会」的なものがある時にたしか偶然居合わせたのではなかったかしらいかんせん20年以上前なので記憶が・・・(^^;)

そしてその彼女と話したのはあとにも先にもその1度きり。

今思うと天使かなんかだったんじゃないかしら(^^)

 

とにかく、その彼女から「ジュエリーデザイナー」という職業があることを知り。

「ジュエリーデザイナー」について調べてみました。

まさに、「絵を描いて食べていける職業」じゃん!!と。

でね、

いままでぱらぱらみていた雑誌に載っているジュエリーを

「ジュエリーデザイナー」が

「デザインしているもの」

として見直してみたんです。

 

そこで見つけたのが、

 

本真珠を使った、

K18のうさぎの後ろ姿をモチーフにしたネックレス

もうねえ、衝撃だったんです。

 

なぜかって、

私にとってそのデザインが

 

「イミテーションのパールとかで作るような

 アクセサリーのデザイン」だったから。

 

何様、ですけど(笑)

 

え!!!    

 

本物の素材を使って本物のk18とかつかっちゃって

・・・いま思えば本当に失礼ですけど(^^;)

 

こんなアクセサリーみたいなデザインのものを

作れるの??????

これやってみたい!!!!!

 

これです。

もう一度言いますが、

 

いままで見ていた雑誌を、

違う目線で見ただけでこの発見。

 

本当に「意識する」って大事なんだなと。

拾えるものが変わるんですからね(^^)

 

そうして

ジュエリーデザイナーというものを目指すことにした私。

 

その方法を調べました。

まず、習っていた絵画教室の先生に相談しました。

そしたら「美大受験」を勧められ。面白そうだな〜、と思ったのですが

 

 

私にとって、「大学」って「やりたいことを見つけに行く場所」なのです。

あくまで「私にとって」ですよ(^^)

「やりたいこと」がわかった私に大学は必要ないな、と却下。

そして書店でジュエリーデザインの専門学校のことが載っている本を探しました。

20年前って、パソコンがいまより普及してなかったのです。いまだったら即ググるのに(笑)で、情報見つけたのですが、「私立」で高い!!!

 

自宅から通っていましたし、安定している仕事で、ボーナスもあったから

そこそこ貯金があったのですがとてもじゃないけど無理。

自分の貯金でいけるところを探したかったんです。

だってね、自分も親になったからわかるけどめっちゃ安定してて定年まで安泰な訳ですよ。(その頃はね)

それ辞めてジュエリーデザイナーなんて海のものとも山のものともわからないものになりたい!と言ったら

親はそりゃあ全力で止めるよね (^^)「金はださんぞ!」と言われた時に「貯金して貯めたからそれで行く」と言おうと思って。

 

「自分のこれまでの貯金額 + これからやめるまでに可能な貯金額」の範囲

でいける学校を探したかったのです。

でも書店では見つからなくて。

次に行ったのが「図書館」

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図書館好きなんですよ〜学生の時もよく勉強しに行ってました(^^)

よく行ってた図書館の「専門学校」コーナーみたいなところで見つけた

古びた1冊の本。

 

そこに「山梨県立宝石美術専門学校」の文字があったのです。

なんですと!公立!!!

そしてその時、授業料が年間38万だったのです。

ここなら、2年間の学費と生活費、いまから貯めれば可能!あとはアルバイトすればいける!と計算し、資料取り寄せました。で、公立だから試験がある。

(いまは小論文なんですね。)私の時は5科目あったんですよ〜〜〜〜!!!

 

過去問取り寄せて、やってみたんだけど高校卒業して2年経ってたら、もうすっかり忘れてる(^^;)

どうしようかな。そう思った私は、「高校の時の先生」を頼ることに。アポとったかどうかもう覚えていませんが(^^;)

通っていた高校に押しかけ(!)数学の先生捕まえて

「先生!私2年前にここに通っていた学生なのですが!この問題教えてください!!」

ほんと私面白い(笑)よくそんなことしたなあ。

でも、その時は超真剣。解き方を教えてもらって、過去問なんどもやって。

 

会社に内緒で受験し、受かったら「辞めます」って言おうと思ってたの。

同時に合理的な私は「この会社にいた3年を無駄にしたくないな」と思い。

医療事務の資格をとりました

 

要は「医療事務」の書いたレセプトをチェックする側だったので教えてくれる人が周りにいっぱいいるわけですよ。これを活用しない手はないだろうと。

で、合格(^^)b

「何かあったら医療事務やればいいや」っていう心の支えもできました。

 

そんなこんなで準備万端!だった試験の1週間前に、なんと。

「インフルエンザ」になりました。。。

1週間自宅安静。試験に支障はないけれど試験期間を合わせると

会社を合計10日以上休むことになる。

 

でも今年を外すとまたあと1年待たなくてはならない。困ってその時の上司に相談しました。

 

その時の直属の上司が役職になりたての女性で頭が硬くて(笑)

 

「会社を辞めるつもりがあって学校を受験しに行く」のであればそれは「さらに上に」その状況報告しなくては!と。

言ってみたら「このこ辞める予定だよ」を合格決まってもないのに上に伝えられちゃう訳ですよ。

 

まあ、受かるし!って思ってたので上司と一緒に部長へ報告に行きましたら、その部長は「合格するまで居られるように」とそこで情報を止めておいてくれました。

 

なんていい部長なのでしょう

ということで無事、インフル完治して山梨へ一人飛び、受験することができました。

 

合格発表が試験の二日後だったのでじりじりしながら山梨観光して待ち(笑)

合格発表の張り紙で「合格」の文字をみて

公衆電話から親に電話して泣きながら合格報告しました。

 

いやー、本当によく頑張った!と

あの頃の自分を褒めてあげたいです。

 

山梨での学生生活はとにかく本当に楽しかった!!!!

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一度「社会人」経験してからまた学生になった私は

学ぶことが楽しくて仕方がない!

 

他の子が「単位」を落とさないために「最低何個授業選択すればいいか」考えている隣で

 

 

「どうやったら目一杯授業にでることができるか」を考えていました(^^)

ハーマイオニーもびっくりですよ(^^)

 

2年の予定だったのですが、奨学金がとれて親も援助してくれることになったので

結局研究科までいけることになり、3年甲府で勉強することができました。

 

親には感謝してもしきれません。

 

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もちろん、親は最初は大反対!でしたよ。最初口聞いてくれなかったし(笑)

でも最後には理解してくれました。

 

まず折れてくれたのは父。

「才能はいつか枯れるぞ」っていわれたのですが

私は父にこう言いました。

 

 

「才能は枯れない。毎日、新しい経験をして新しい発見をするんだから才能が枯れることはない。

「才能が枯れた」っていう時は「やりたくなくなった時」

なんて生意気なんでしょう。

 

でも、父はちょっとだまって。そうだな、と。

 

その時父は合唱団の団長を辞めていたのですが、

まとめ役がうまかったのでもう一度団長をやってくれないかとオファーをうけていたそうなのです。

 

父はそのとき「才能が枯れたから」といって断ったのだと。

でもそれって「もうやりたくない」をうまく言う方法だったな、と。理解してくれました。

本当に私は家族にも環境にも恵まれていまここにいるのだなと。

本当にそう思います。

 

 

たくさん見守られ、育てられてきたのだなと。改めて感謝の気持ちが湧き上がってきました。

お父さん、お母さん、ありがとう。

 

楽しかった学生生活を経て、いよいよ「就職」を考える時になり。いくつもの会社を見学しに行きました。実際山梨県内で何社か受けて、内定をいただいて。

でも、どうしても「東京」に出たかった!!

私だけかもですけれど長崎出身の私にとって「東京」は「海外」よりも上!!だったのです

 

「おら東京さいくだ」の世界ですよ(笑)

そして、卒業旅行の代わりに、と東京のメジャーなジュエリー会社を受けつづけ。

そしてことごとく落ち(笑)

 

このまま内定もらってる甲府の会社に就職するかな〜、と思っていた時にこんな出会いがあって東京の会社へ就職がきまりました。

つづきます

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物語をジュエリーに
ありがとうをジュエリーに
anne-li-gatou 田中オリエです。

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