田中オリエプロフィールストーリー⑹2社目/オーダーメイド専門店
これまではこちら
リングのデザインがしたい!!!
これからは既製品を売るんじゃなくてオーダーメイドの時代が来る!
と思って転職活動をし、狙っていた会社に「内定もらってから」
本当に1社目をやめるかどうか考えていた時。
そのタイミングで!本当にわたしタイミング良すぎてすごい(笑)
工場での
商品開発をやらないかと打診をされました。
それまでやっていた本社のジュエリーデザイナーは
「紙」の上にデザインを書いて、それを職人さんに作ってもらう。
工場での開発は実際に金属を使って新作を作ってみることができるのです。
どちらもデザイナーとしてやりがいがあること。
工場の開発担当の職人さんたちとも仲良かったのです。
本社のデザイナーでプライベートでも工場の人と仲良くしている人なんて他にいなかったので(^^)
意思疎通も取れるだろうし、ということでの人事打診だったと
今思えばいい話だったよな、と思います。
だってK18やプラチナ使いたい放題で試作できるなんて
「職人」にとっては夢の様な話
結構真剣に悩。。。。。。。まなかった(笑)
だってね、もともと「画家」になろうと思って結果的にデザイナーになっているのです。
え。描けなくなるのやだ。
即、会社退職する旨を伝えました(^^)
ということで、オーダーメイドの会社に行くことにした私。
実はこの会社の面接いった時に
デザイナーのキャリアとしては2年ちょっと。
会社代表のデザインかける様になっても仕事の半分は事務だったのです。
面談に仕事内容まとめたポートフォリオを持って行き、実技の試験を受けたのですが。
実技が会社の求めるレベルに達していなかった!!!
お客様の目の前で絵を描くという仕事だったので画力必須!!!なわけですよ。
普通ね、落ちるの。
なぜ、そこに入れたかというと。
ポートフォリオのまとめ方がうまかったからなのです。
その会社は社長がワンマンでやっている会社でトップダウンの指示方式。
社長と社員の距離も近くて、社長の意図をすぐ現場に伝えられる環境でした。
会社のノウハウ的なものが全部、社長の口頭やメモでの指示で
全然まとまっていなかった。
社内情報がまとまらなくて困っていたところに、画力はイマイチだけれど、企画まとめるのうまい私が応募してきた、という状況。
面談のときに提示された条件は。
今のあなたの画力でデザイナーとしての採用はできません。
でも、これまでのノウハウを「社長秘書」として
社内資料にまとめる作業をやればこの会社の流れがわかります。
それはこの会社でデザイナーとしても一番早く成長できる方法。資料まとめる間は
「社長秘書 兼 店頭販売」で経験を積んで
資料作成終わったらその後、デザイナーになる、という条件であれば採用します
え。
社長秘書???デザイナーじゃないの??
と思いましたが、確かに一理あるなと。
会社を一代で築き上げた社長のノウハウをまとめれば
オーダーメイドのノウハウを全部体得できる。
それって、今後独立考えた時にいいんじゃない?
資料まとめてしまえば、デザイナーにするって言ってるし。
資料がどれくらいあるかわからないし、まとめるの半年位かかるかもって言ってるけど
3ヶ月で終わらせてやるわ.
1社目から工場勤務の打診をされていて、返答期限が迫っていたし、他にオーダーメイドの会社を知らなかったので
その会社にまずは社長秘書として入社しました。
ほんと、何がどう影響するのかわからないものですね(^^)
オーダーメイドのノウハウをまとめる仕事はもう、大変だった(笑)
海賊の宝箱みたいな箱に乱雑に入れられたノウハウの山を全部文章にまとめて、全社員が見られるように整えるのです。
そうそう、私高校が情報処理科で、情報処理検定2級ももっております(^^)
(プログラミングの資格なんですけどね)
資料整理もけっこう、得意.
宝箱いっぱいの資料を予定通り3ヶ月でまとめ上げました(^^
その間、土日はオーダーメイドの販売スタッフをしていました。
販売スタッフとデザイナーが2人1組でオーダーご希望のお客様を接客するのです。
めっちゃ得意でしたよ〜(^^)
自分がデザイナーだからデザイナーが描く上で
お客様からどういう情報を引き出して欲しいかわかるのです。
デザイナーの接客見ながら、提案しやすいように、このタイミングでこれ聞こうとか
デザイナーが煮詰まってるから私が話を引きつけておいて考える時間あげよう、とか
そんな間合い的な物もかなり研究しました。
おかげでめっちゃ売れてましたよ〜(^^)b
ただ、売れすぎてなかなかデザイナーにしてもらえなくて(泣)
これ以上デザインできないならやめます!って直談判してやっと
デザイナーにしてもらえました。
晴れてデザイナーになった私。今まで販売担当側だったので
お客様の前で描く立場になりました。でもねえ、ほんと画力が足りなかった!!!
提案力はあるのですよ。販売得意だから。
こういう絵を書いて、ってお客様にリクエストされてもそれを絵に表しきれないのです。
このままじゃまずいな、と。
デザイナーとしてもっと学ばなくては!!!と思った私は、通勤電車の中で絵の練習を始めました。
その頃、通勤に1時間半かかるところに住んでいたのです。
電車の中で、コピー用紙を膝に広げてひたすら、楕円の練習。手書きのリングって楕円で構成されているんですね。
思った形が描けるよう、ひたすら電車内で行きも帰りも練習しました。
でも、思ってたほど上達できなくて。。。。
でも、販売担当としてはめっちゃ売れるんですよ。
会社としては販売に専念させたいですよね。
だから、本当にいろいろ言われました。
今思えばパワハラまがい、だったり
自身をなくさせてマインドコントロールしようとされたり。
いまでも「ナレッジマネージメント」という言葉には拒否反応が。。。
いまでも覚えているのは
「おまえくらいのデザイナーなんていくらでもいる。でも、あなたには販売の才能がある。販売に専念して力を発揮したほうが絶対にいい」
本当に自信なくしかけてたのですが
いや。違うぞと。私はデザイナーだと。
デザイナーになるためにいろんな思いをしてきたんだと。
私に「デザイナーは向かない」って言う、この人の方が間違っている。
でも、この人がいうのも一理ある。
もっと画力を上げなくてはダメだ。
いま転職活動してデザイナーとして就職しても、同じ事起きるだろう。
もっと、ほんとうに描けるようにならなきゃダメだ!!!
そう思った私は、会社をやめてもう一度学校に入り直す事にしました。
専門学校、研究科まででているんですよ?
もちろん、デッサン等もやってるし図面も引けます。でも、足りていない!と思いました。
一から、線の引き方から教えてくれる学校がないかな。そしてたどり着いたのが、高田馬場にある
「アテナ宝石デザイン研究所」でした。
つづきます
[かさこ塾フェスタ]