田中オリエプロフィールストーリー⑴私のベースを作った家族
私は、いま東京・武蔵小山で
ジュエリーデザイナーとしてお仕事をしています。
ジュエリーのデザイナーです、って自己紹介すると
へー!!!って言われることが多いのです。
実家がそういうお仕事なんですか?とか。
『そうなんです〜
母がジュエリーやアクセサリーをたくさん持っていて
それを幼少のころからおもちゃにしていて・・・
きがついたらこの道に・・・』
・・・・とか言ってみたい(笑)
私の両親は父が公務員。母は簿記が得意な事務員です。
アクセサリーはおろか、
結婚指輪ですらも
「お洗濯してて流しちゃったの〜(^^)」
ということでつけていない両親です。
私は、公務員だった父から
「仕事は、お小遣いをもらう為の物。
好きなことややりたいことは仕事後にやればいい」
と教えられて育ちました。
実際に父も完全な「5時から男」(古っ!!)
父は長崎国際平和コンサートの合唱団(それも団長)をしており
平日の夜は全然いない人。
そのほかにも山登りや釣り等、本当に多趣味な人で、
「やってみて、嫌だったらやめたらいい」
をモットーに
いろんなことにチャレンジする人です。
バイオリンやフルートがお家にころがってたこともあったなあ。。。
食べ物とかも、
食べてみて、嫌だったらぺ!ってすればいいよ。と
「みたことがないものにチャレンジ」する精神
を教えてくれました。
私も父のそんな素敵なところを
ばっちり受け継いでおります(^^)b
母は簿記が好きな事務員で、手作業が好き。
最近はバッグ作りにはまり、工業用ミシンまで買って!!
完全趣味でですよ(笑)
いろんなものを作っております。
そんな二人の間に生まれた私は
小学校のころから「目が悪くなるから!」と
テレビを週に3番組に制限されていた関係で
夜が、ヒマ。ということで夕食後は「家族で」「ものづくり」する家だったのです。
いま思うとすごくいい環境だったのだなと思います。
夕食後に家の中にブルーシート(!)をひいて
あるときは藤編み。
あるときはどんぐり笛つくり。
あるときはチラシをこよりにしてカゴを編む。
(チラシカゴわかります?こんなのです)
家族でいろんなものを作ってあそんでいたのです。
娘がおおきくなったらおなじようにやってあげよう(^^)
でも、「好きなことは仕事後にやる」と
教えられて育った私は
公務員試験を受けたのですが、2点足らずに落ち。
公務員になるための勉強ができる学校に通おうと入学金まで支払ったのですが、
高校のときにずっと夏休みに公務員試験受ける人向けに補習をしてくれていた
先生が春休み中に連絡をくれて
「特殊法人」の求人があるけれど興味はあるか?と言われ。
(特殊法人って、そのころの感覚だと準公務員です。
公務員ではないけれど、条件は公務員とおなじ、みたいな)
そのころから「合理的」だった私は
「来年公務員試験受けて、もし落ちたら一般企業に勤めるんだろうな。
それだったら今、特殊法人っていう
条件いいところに入っちゃえばいいんじゃない?」と。
すっぱり割り切り(笑)
高校卒業後、「特殊法人」に就職しました。
「社会保険診療報酬支払基金」という、
風邪ひいて病院言ったのにシップだしたりしてないか
間違った請求をしていないかの「レセプトチェック」する
半公務員・準公務員の会社に入ったのです。
いい環境でしたよ〜
17時終わりの会社で16:50には机の上綺麗にして、チャイムがなったらダッシュで帰り(全員)
17:10には誰もいないような環境。(そのころはね)
ボーナスもあるし、安定してるし。
そして、父におしえられた通り、好きなことは仕事後にやろうと。それに
なんの疑問も持っていませんでした。
そんな私が変わったきっかけは。。。。
続きます。
[かさこ塾フェスタ]